キュッと胸が痛んだお話 ~国ガチャ~
投資関係のX(ツイッター)を見ていて、
『国ガチャ』
「配属ガチャ」「親ガチャ」などと言うワードはよく聞く ようになりました。望んだ会社に入社出来ても、配属先は選べない。生まれてくる「家庭」や「親」が選べないように 、生まれてくる「国」も選べない。人間の出自や境遇には「当たり ハズレがある」ってことを、オンラインゲーム用語の電子くじ「 ガチャ」に準えて、新しく造られたイマドキの言葉のようです。
先日、某投資家さんが、「日本人は国ガチャに当たっ たのだから(云々)」と言うツイートを読んで、初めて、 この言葉を知りました。
そして、ある経験と罪悪感を思い出しました。
2010年代、海外駐在していた頃のこと。
東南アジア圏を頻繁に 出張していたときのお話です。
当時のフィリピン・マニラ空港に夜に到着し、都心に向かってタ クシーに乗ったら、空港を出てすぐの信号待ちで、金銭を乞う子供 たち数人に、車を囲まれました。タクシーの運転手が、 手を振って追い払います。
その物乞いの女性たちに抱かれている多くの赤ん坊が、「レンタル」さ れているという事実を、会社のローカルスタッフが教えてくれました 。赤ん坊を抱いていた方が、同情を買いやすく、収入が格段に上が るからだそうです。確かに、 私の胸が痛む度合いは強かったと思います。
自分の子供を貸し出す親がいるということと、そんなレンタルビジネスが確 立されている事実と、その背景にある圧倒的な貧困に、衝撃を受 けました。
赤ん坊以外にも、盲目や腕の無い障害者を連れている物乞いもよく見かけました。
狙いは同じです。
現地の国の皆さんには、大変失礼な話ですが、その光景を見て、「 人間は生まれながらに不平等なんだ」と、そして「自分は日本人に 生まれてよかった」、「私の子供は、私の子供として産まれてくれ て良かった。」
そう思ってしまいました。
ホントに失礼な話です。
きっと、その国に生まれた人たちは、少なからず「愛国心」 を持っていて、その与えられた環境で、疑いも無く、 一生懸命に生きているはずです。
もちろん、イギリスやアメリカをはじめ、先進国の中でも、この日 本国内でも、経済格差、貧困、虐待、差別など、生まれた境遇によ る、いろいろな社会問題があります。しかし、アジアの途上国で見た、それと は、あまりにもスタートラインが違い過ぎる、と思ったんです。
だから、私は、「親ガチャ」「国ガチャ」という表現が、好きでは ありません。
「日本に生まれて良かった」 と思ってしまった自分自身を責めたように、この日本で、その言葉を使うことは、とても失礼なことだと思うんです。
家族や親、国籍、出自というものは、当たりとかハズレとか、そん な「軽い言葉」で表現できるものではない、もっと純粋で、 もっと残酷なもののような気がします。